top of page
INDUCTEES/
掲額者一覧
2024年
植田 義巳
(1906-1996)
種別:競技の発展に大きく寄与した人物
1959-1989年の期間、国際バスケットボール連盟の委員を務め、日本バスケットボール界の国際化に貢献した。アジアバスケットボール連盟(現・FIBAアジア)の設立において中心的な役割を担った。1964年開催の第18回オリンピック競技大会(東京)に向けて、1960年開催の第17回オリンピック競技大会(ローマ)でアメリカを優勝に導いたピート・ニューエルを日本代表のコーチとして招聘した。1964年開催の第18回オリンピック競技大会(東京)に向けて、日本代表チームの長期海外遠征や、海外チームの来日をマネジメントし、日本の躍進に大きく貢献した。2007年、日本人で初めてFIBA殿堂に表彰された。
三阪 亙
(1923-2019)
種別:プレーヤー
日系アメリカ人二世のバスケットボールプレーヤーで、1947年のドラフトでニューヨーク・ニックスに指名され、非白人プレーヤーとして初のNBA(当時はBAA)プレーヤーとなった。ユタ大学時代には、NCAAとNITでともに優勝を果たした。反日感情が激しい当時、人種の壁を破り、日本人の体格(170㎝のPG)でも世界最高峰の舞台に立てることを証明した人物である。
佐藤 久夫
(1949-2023)
種別:コーチ
日本バスケットボール協会強化本部でエンデバー一貫始動システムの構築に尽力し、U18日本代表のヘッドコーチも務めた。仙台高校では1999年と2000年のウィンターカップでチームを優勝に導いた。また、2000年の国民体育大会でも優勝した。仙台大明成高校では2009年のウィンターカップで優勝し、2013-2015年のウィンターカップにて3連覇を達成した。2015年はインターハイとウィンターカップの2冠を達成した。2017年と2020年のウィンターカップでもチームを優勝に導いた。
写真提供:小永吉陽子
bottom of page